カサンドラ・ウィルソンの『Death Letter/デス・レター』


2003年のライヴでご一緒したギタリストのYさんが、
「またバンドをやりましょう」と声をかけて下さった。
私は普段ベースを弾かないので、リハビリが必要な状態だったが、
誘って下さったことが嬉しくてすぐに「お願いします」と返事を書き、
ある曲の音源を添付した。
それはいつか演奏してみたいと心の中で温めていた曲。
Yさんは「カッコいいですね。やりましょう」と賛同して下さった。 
 
それからまもなくして、ドラマーのMさんからお電話があり、
「1月下旬のライヴに出ませんか」というお誘いを受ける。
そのことをYさんに相談したら、
「あの曲をライヴでやりましょう」と提案して下さり、
急遽、1曲だけ私がYさんのバンドに参加して演奏させていただくことになった。
それがカサンドラ・ウィルソンの『Death Letter/デス・レター』である。
 
『デス・レター』は、ミシシッピー州クラークスデイル近郊で生まれた
サン・ハウス(1902-1988)が自作自演した曲で、
力強いボトルネックのスライド・ギターと唸るような唱法が特徴的だ。
後にカサンドラ・ウィルソンやグレイトフル・デッドなど
数多くのアーティストによってカヴァーされた。
 
サン・ハウスは10代の頃は敬虔なバプティスト教会の信者で、
15歳の時に説教師となったが、
20代半ばでギターを習得してからは、ゴスペルではなくブルースを歌い始めた。
激しく心情を吐露するスタイルは、伝説のギタリスト、ロバート・ジョンソンや
マディ・ウォーターズに多大な影響を与えたと言われている。
 
私が初めて観たサン・ハウスの映像は
歌い方やドブロギターのつま弾き方など、その全てが衝撃的だった。
歌のタイトル、『デス・レター/死亡通知』もインパクトがある。
内容は以下の通り。
 
 
「今朝 手紙が届いた
 何て書いてあったと思う?
 
 “急いで 急いで来なさい
 あなたの恋人が死にました” 
 
 かばんをひっつかみ あわてて出かけた
 着いた時には 彼女は冷たい板の上
 近くに寄って顔を見た
 いとしいあの人は 最後の審判を待つばかり
 
 1万人ぐらいの人が埋葬に参列していた
 埋葬される時 ようやく気がついた
 本気で彼女を愛していたと・・・
 
 あぁ神様 罪深い私にどうかご慈悲を・・・」
 
詞は意味深でリアリティに富んでいる。
しかし、サン・ハウスの弾き語りが強烈すぎて、
バンドでやれる曲だとは思わなかった。
 
それから10年ぐらい経った2009年2月、
夫があるDVDを持って居間にやってきた。
最近カサンドラ・ウィルソンに開眼したらしく、
彼女のCD「ニュー・ムーン・ドーター」が良かったから
ライヴDVDも購入したと言っている。
 
「カサンドラ・ウィルソンをどこで知ったの?」と尋ねたら、
「メアリー・J・ブライジと一緒にある番組で紹介されていて、
歌がジャジーで良かったからCDを買ってみた」とのこと。
「そうなんだ・・・。じゃあ、一緒に観てみようかな〜」と
私は暇つぶしのような感覚で夫のDVD鑑賞会に付き合った。
 
ビデオのタイトルは「トラヴェリング・マイルス」で、
最初にツアー・バスで眠るカサンドラ・ウィルソンの寝顔が映り、
ドラムとアコースティック・ギターのイントロが始まる。
 
「!!!!!」
 
ここで、私はまさかの一目惚れ。
ギターのフレーズはシンプルだが、響きがディープで無茶苦茶カッコいい。
「何という曲だろう?」 じっと耳を傾ける。
その後バック・ステージでくつろぐメンバーの顔が次々と映し出され、
一瞬だったが「あれ?」と思うような顔が映った。
 
ドラムのフィル・インで映像がステージに切り替わり、ピアノとベースが入る。
それがワン・コーラスあり、
マイクをおもむろに取ったカサンドラ・ウィルソンがワン・テンポ手前で歌い出す。
声質は男性並みに低いけど渋くて味がある。
彼女の雰囲気とモノクロの映像が曲のイメージにピッタリ合っていて、
私はますます曲の世界に惹きこまれていった。
歌が始まって判明した曲のタイトルは『デス・レター』
そして、次の映像でハッとする。
カサンドラ・ウィルソンの横でウッド・ベースを弾いている男性は、
おととい私にメッセージを送ってくれた人にソックリだった。
 
「名前はたしかロニー・・・」
 
他人のそら似かもしれないので、私は黙ってDVDを観続けた。
その後、エモーショナルなスライド・ギターのソロが3コーラスあり、
ブレイクして静かに歌に戻る。
次第にカサンドラ・ウィルソンの感情が高揚してきて、
歌にレンスポンスする形でピアノが激しいソロを弾きまくり、
一段落してからメンバー紹介。
最初にピアノ、次にギター、ドラムの順で、最後はベースだった。
彼女はベーシストをチラっと見ながら以下のように紹介したのである。
 
「ベースを弾いているのは私の親友で、音楽監督のロニー・プラキシコ!」
 
私はビックリして心の中で呟いた。
「やっぱりロニー!?
カサンドラ・ウィルソンと一緒にツアーしたことがあったなんて!!」
このような偶然のめぐり合わせは、
ホテル前でB.B.キングとバッタリ遭遇して以来の出来事だったので、
とても驚き感動した。
 
私はこの映像を観る数日前にたまたまSNSでロニーのことを知り、
ウッド・ベースを抱えている写真がプロフィールにあったので、
「この人もベースを弾くのね・・・趣味? それともセミプロ?
とりあえずフレンド・リクエストを出しておこう」と軽い気持ちでリクエストした。
翌日には承認のサインがきたので、
私は彼の掲示板に「ロニーありがとう。全てがうまくいきますように。
あなたに神のご加護を!」

お決まりの文句を書き込んだら、すぐにロニーからメールがきた。
 
「こんにちは、カオリ  コメントありがとう! 
楽しい週末が過ごせるといいね。
実は僕、今まで日本にいて、昨日、ニューヨークに帰ってきたんだ。
君がベースを弾くなんて素晴らしいよ!    ロニー」
 
私はこのメッセージを読んだ時、
「ライヴ写真までチェックしてくれて嬉しい・・・。
品があって感じのいい人・・・」と思ったが、
彼のキャリアについて全く知識がなかったので、
「素敵なメッセージをありがとう。これからもベースを頑張って下さい」
としか返せなかったのである。
 
彼がチェット・ベイカーやアート・ブレイキー、ディジー・ガレスピーなど
数多くのジャズ界の大物と共演してきたベーシストだと知ったのは
カサンドラ・ウィルソンのDVDを観た後の事。
時、既に遅し。
彼にメールを出すことは二度となかった。
 
でも、ロニーがアレンジしたジャジーでクールな『デス・レター』は
「It’s great that you are a bass player:)」という
最後の一行と共にずっと私の心にあった。
「・・・嬉しいけどもうベースは弾けない。
でもこのアレンジは大好き。いつか演奏してみたいな〜」
 
 
あれから3年の月日が経ち、
YさんとMさんのお蔭でとうとう『デス・レター』を演奏する機会に恵まれた。
 
ライヴ当日、初練習のために会場近くのスタジオで
ギタリストのYさんとRさん、ドラマーのNさんと待ち合わせをした。
Yさんとは9年ぶり、Rさんとは初顔合わせで、
学生の頃からいつか共演したいと思っていたので
今回同じステージに立てることが嬉しかった。
遠方からライヴのために上京して下さったNさんは、
学生時代に私のバンドで何度かドラムを叩いて下さったので気心が知れている。
 
たった1時間の練習だったが、
狭い空間の中で演奏しているとお互いの「気」が徐々に調和していくのがわかり、
心地良い一体感を感じることができる。
先輩方と一緒にまたこうしてバンドが組めることはありがたかったし、
とても楽しいひとときを過ごすことができた。
 
Yさんのギターは今回のライヴが初お披露目というフェンダーのテレキャスターで、
一目惚れをして購入されたそう。
Rさんのギターはミュージックマンで、
ボディ材にスポルテッド・メイプルが使用されたこだわりの一品。
これまた一目惚れをしてお買い上げになったという。
Rさんから「どうしてこの曲を選んだの?」と聞かれた時、
私もすかさず「一目惚れをしたんです」と答えた。
そうしたらNさんが機転を利かせて、
「僕は毎日路上で一目惚れ」と合わせて下さり、みんなで爆笑。
 
YさんもRさんも毎日ネットでギターをチェックしているそうで、
お二人のギターに寄せる想いにしばし感激。
「やっぱり何事も情熱が大切だよね〜」と納得した次第である。
 
練習の甲斐あって、ライヴ本番でも皆さんと心をひとつにして
楽しく演奏することができた。
お忙しいところわざわざライヴを観に来てくださったTさんからは、
「昨日のライヴは、みんなが楽しんでいる雰囲気がとてもよかったよ。
皆さんすごく上手だし!
9年に1回じゃもったいないから、
もっとどんどんベースを弾いてライヴもやって下さい」
という嬉しいお言葉をいただき、とても励まされた。
Tさん、ありがとう! 
 
「やっぱりバンドはいいな〜」と久しぶりに実感できたのは、
私の想いを理解して下さり、
演奏にご協力して下さった優しい先輩方のお蔭だ。
心がつながっているメンバーと一緒に『デス・レター』をプレイできて
本当にハッピーだった。
これからも「ワン・バンド、ワン・サウンド」の精神を忘れず、
演奏を楽しんでいきたいと思っている。
 
 
★Cassandra Wilson/カサンドラ・ウィルソン
 
1955年生まれ。
ミシシッピー州ジャクソン出身のジャズ・シンガー/ソングライター。
父親はギタリスト/ベーシスト/音楽教師。
ジャズを敬愛する父親とモータウンの音楽を愛する母親の間で、
カサンドラは音楽的才能を開花させていく。
6歳から13歳までピアノを習い、その後クラリネットとギターを習得。
大学時代はR&Bやファンク、ポップスのカヴァーバンドに所属していたが、
卒業後はニューヨークに渡り、ジャズの世界へ。
1993年にリリースしたアルバム”Blue Light ‘Till Dawn”あたりから
彼女のレパートリーはブルース、ポップス、ジャズ、カントリーなど幅広くなり、
ジャズ・シンガーとして高い評価を受けるようになる。
1996年にリリースしたアルバム”New Moon Daughter”で
自身初のグラミー賞を獲得。
1999年にはアルバム”Traveling Miles”を発表。
これは彼女が、多大な影響を受けたマイルス・デイヴィスをトリビュートした作品で、
翌年には同名のコンサート・フィルムが発売されている。 
 
★Lonnie Plaxico/ロニー・プラキシコ
 
1960年生まれ。
イリノイ州シカゴ出身のジャズ・ベーシスト。
12歳からベースをはじめ、14歳でプロに転向。
20歳の頃にはニューヨークでチェット・ベイカーやデクスター・ゴードン、
ハンク・ジョーンズらと活動。
1978年にルイ・アームストロング賞を受賞。
1983〜86年にはアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーのメンバーとなり、
12枚のアルバムをリリース。
1990年代半ごろから15年間カサンドラ・ウィルソンの音楽監督とベーシストを務める。
 
 
<2012.3.16> 
 







Cassandra Wilson/カサンドラ・ウィルソン


































Son House/サン・ハウス





































Lonnie Plaxico/ロニー・プラキシコ






































Traveling Miles/トラヴェリング・マイルス